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高松高等裁判所 平成4年(ネ)346号 判決 1996年3月28日

控訴人(附帯被控訴人)・当審反訴原告

甲野正夫

右訴訟代理人弁護士

白川好晴

被控訴人(附帯控訴人)・当審反訴被告

乙山太郎

被控訴人(附帯控訴人)・当審反訴被告

乙山春子

右両名訴訟代理人弁護士

相良勝美

小笠豊

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  本件附帯控訴を棄却する。

三  控訴人の当審反訴を却下する。

四  控訴費用及び当審における反訴費用は、控訴人の負担とし、附帯控訴費用は、被控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第一  申立て

一  控訴の趣旨

1  原判決中、控訴人敗訴の部分を取り消す。

2  被控訴人らの請求を棄却する。

二  附帯控訴の趣旨

1  原判決中、被控訴人ら敗訴の部分を取り消す。

2  控訴人は、被控訴人乙山太郎に対し、金七二三万四九〇一円及びこれに対する昭和五九年四月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  控訴人は、被控訴人乙山春子に対し、金七三九万九九五一円及びこれに対する昭和五九年四月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  当審反訴請求の趣旨

1  反訴被告らは、反訴原告に対し、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞の各愛媛版、愛媛新聞及び夕刊宇和島に、三段ぬき、表題及び末尾氏名は四号活字、本文は五号活字をもって、別紙記載の広告文による広告を各一回掲載せよ。

2  反訴被告らは、反訴原告に対し、各自金二〇〇〇万円及びこれに対する平成五年八月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要(ただし、控訴人の当審反訴請求事件関係を除く。)

一  本件は、被控訴人乙山春子(以下「被控訴人春子」又は「春子」という。)が、昭和五九年四月二八日に控訴人の経営する診療所である甲野医院において、夫の被控訴人乙山太郎(以下「太郎」という。)との間の第三子である乙山秋子(以下「秋子」という。)を分娩した際、控訴人による子宮収縮剤オキシトシンの過剰ないし不適切な投与に起因する過強陣痛により子宮破裂が発生し、その結果、秋子が重度の脳障害等を患って出生し、昭和六一年一月五日に死亡したとして、秋子の両親である被控訴人らが、控訴人に対し、診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償の請求をしている事案である。

二  争いのない事実

1  春子は、昭和二七年一一月四日生まれの女性であり、昭和五〇年一一月二六日に太郎と婚姻して、同人との間で、昭和五一年七月三〇日に長男一郎を、昭和五四年七月四日に次男二郎をそれぞれ経膣分娩により出産した。なお、右出産時における各児の体重は、それぞれ約三八〇〇グラムと約三五六〇グラムであった。

春子は、本件出産より前に、吸引分娩の経験はあるものの、帝王切開術を受けるなどして、子宮の壁を切開されたことはない。

2  秋子の妊娠につき、春子の最終月経は、昭和五八年七月二五日であった。春子は、当初宇和島市立宇和島病院で受診していたが、昭和五九年二月二七日から、控訴人の診察を受けるようになった。その当初、前置胎盤の疑いがあったが、実際には前置胎盤ではなかった。このほか、春子には、切迫早産、羊水過多症、カンディダ症、貧血等が見られたが、控訴人による対症療法の実施によって、右の症状はいずれも消退した。なお、春子が控訴人の診察を受けた当初、秋子は、いわゆる逆子であったが、逆子体操を行った結果、頭位となり、その後再び逆子となったが、逆子体操により再び頭位となった。春子は、昭和五九年四月三日、下腹部を打撲したが、特に異状を生じなかった。以上のほかは、春子の妊娠は、格別の問題もなく推移した。

控訴人は、昭和五九年四月一八日、分娩監視装置を用いて、春子に対するノンストレステストを行ったが、胎児に異状はなく、子宮に軽い収縮が見られた。

3  春子は、昭和五九年四月二八日、本件出産のため、控訴人の開設する診療所(甲野医院)に入院したが、分娩に際しては、子宮収縮剤オキシトシン(登録商標シントシノン)が使用された。ところが、午後一時二〇分ころ、春子の子宮が破裂して胎児(秋子)が春子の腹腔内に押し出された結果、酸素供給が断たれたため、帝王切開術により娩出された秋子は、無酸素脳症となって重度の脳障害を生じ、昭和六一年一月五日、急性肺炎により死亡するに至った。

4  分娩監視装置とは、胎児の心拍数及び子宮収縮の強さを計測する機械であって、機器本体と電気コードで接続されたベルトがあり、これを妊婦の下腹部、子宮直上の部分に外から巻き付ける。ベルトには胎児の心拍数を計るための検知器(トランスデューサー)と子宮収縮の強さを計るための検知器(トランスデューサー)とが取り付けられている。前者は、超音波ドップラー法を用いて胎児の心臓の動きを超音波の周波数の変化として捉え、一つの心拍と次の心拍との間の経過時間を計測した上、一分間あたりの心拍数を瞬時に計算して表示するものである。後者は、突起状の感圧器で、ベルトを装着すると、腹壁を介して子宮壁の一部を押し込む形となり、陣痛時の子宮収縮の際に、筋肉でできた子宮壁が固くなるとともに子宮自体の形も変形することにより、感圧器の突起を押し戻す力が働くため、この力を電気抵抗の変化に変えて計るものである(この計測法を「外測法」という。)。こうして計測された胎児の心拍数及び子宮収縮の強度は、即時に記録紙に印刷されて機器本体から送り出されてくるようになっており、これによって、胎児の心拍数と子宮収縮の強度との時間的関係等をリアルタイムで知ることができる。もっとも、外測法によって計測することのできる子宮収縮の強度は、相対的なものにとどまる。これを正確に知るためには、消毒したカテーテルを子宮内の羊水の中に挿入し、カテーテル内部に滅菌した食塩水を満たし、カテーテルのもう一方の端を圧力計測器に接続して、子宮の内圧を計る方法(この計測法を「内測法」という。)による必要があるが、妊婦の体内に異物を挿入するため細菌感染の危険が絶無でないことやコスト面で難があることなどから、我が国では、大病院においても、特殊な症例の場合以外には用いられない。

なお、分娩監視装置は、分娩時に用いるほか、分娩の際の顕著な陣痛が見られる前に、胎児の心拍と子宮収縮の状態を計測し、胎児の状態を観察するのにも用いられる(これを「ノンストレステスト」という。)。分娩監視装置は、強い陣痛のある分娩時とそれ以前の陣痛のほとんどない時とに用いられることから、計測の感度を調節できるようになっている。

三  争点

1  臨床経過

(一) 被控訴人らの主張

(1) 春子は、昭和五九年四月二八日午前九時四〇分ないし四五分ころに甲野医院に到着して入院し、午前一〇時一〇分ころから分娩監視装置を装着して陣痛誘発のためのオキシトシンの点滴投与が開始された。なお、点滴開始速度は、毎分三三滴であった。

子宮収縮剤の点滴投与開始後五分ほどして陣痛が始まり、当初は五分間隔、その後しばらくして三分間隔くらいで強い陣痛が発来した。強い陣痛の度に胎児心音が毎分一四〇回から六〇回くらいに低下し、数十秒間継続するという状態が繰り返された。

点滴開始後の午前一〇時四〇分ころに浣腸が行われ、数分後に排便したが、その際には分娩監視装置が外された。また、午前一一時ころに陣痛室から分娩室に移動した際に再び分娩監視装置が外された。

分娩室に移って再度分娩監視装置を装着してまもなく、左側臥位に体位変換した。その後、間歇期がほとんどないくらいに間断のない陣痛が続き、春子は、息も絶え絶えの状態であった。午後一時二〇分ころ、子宮破裂を起こした。その後、春子の希望に従って分娩監視装置が外された。

(2) 控訴人が本件分娩の際の春子の分娩監視記録であるとして提出している乙三の3は、春子のものではなく、控訴人が故意に他人の分娩監視記録を春子のものとして差し替えて提出しているものにすぎない。その理由は次のとおりである。

ア 春子が分娩監視装置のベルトを装着してから、浣腸後の排便時と陣痛室から分娩室への移動時の二回、ベルトを外しているにもかかわらず、乙三の3には、記録の中断部分が一か所しかない。しかも、乙三の3の記録の中断部分には、「面会」と読み取れる記載があるが、春子は、面会のためにベルトを外したことはない。

イ 春子の子宮破裂が起こった時点では、分娩監視装置のベルトは装着されたままの状態であったから、子宮破裂時の記録(破裂後は陣痛曲線がフラットになっているはずである。)が残っていなければならないのに、乙三の3には、その記録がない。しかも、控訴人の主張及び関係者の証言によっても、いつ誰がベルトを外したかが判然としない有り様である。

ウ 控訴人は、乙三の2(春子の四月一八日付監視記録)と乙七の1・2(門田しのぶの四月二五日付監視記録)と乙三の3(春子の四月二八日付分娩監視記録)とが一続きの記録であったと主張しているが、門田しのぶが四月二五日に分娩監視装置によるノンストレステストを受けた直前に、他の患者が同じ分娩監視装置によるノンストレステストを受けていたから、乙三の2(春子の四月一八日付監視記録)と乙七の1・2(門田しのぶの四月二五日付監視記録)とが連続して記録されていることはあり得ない。

エ 春子の陣痛は、最初は五分間隔くらいで始まったものが次第にその間隔が短くなっていっており、胎児の徐脈も何度も繰り返されていたのに、乙三の3では、陣痛が最初から同じ二分間隔となっており、胎児の徐脈も一回しか出現していない。このほか、春子が一過性の徐脈が出現した後体位変換したことがあるにもかかわらず、乙三の3には、これを示す所見が見られない。

(3) 控訴人は、故意に他人の分娩監視記録を春子本人のものとすり替えて本件訴訟に証拠として提出し、春子本人の真実の分娩監視記録を隠匿ないし破棄したものであり、こうした控訴人による重要な証拠(分娩監視記録)の隠滅行為は、いわゆる証明妨害であるから、民事訴訟法三一七条により、分娩監視記録に記録されていたはずの臨床経過に関しては、被控訴人らの前記(1)の主張する事実を真実として認定すべきである。

(二) 控訴人の主張

(1) 春子は、昭和五九年四月二八日午前一〇時ころに控訴人の診療所に到着した後、午前一〇時二〇分ころに看護婦の手で浣腸がなされて、春子がトイレで排便した。午前一〇時四〇分ころから春子の下腹部に分娩監視装置のベルトを装着して陣痛誘発のためのオキシトシンの点滴投与が開始された。なお、点滴数は、毎分一〇滴であり、途中増減はなかった。

子宮収縮剤の点滴投与開始後一〇分ほどして、目立った陣痛が現れ、五分ほど経つと、胎児に一過性徐脈が頻繁に見られるようになり、それから三〇分ほどの間に、胎児の心拍数が毎分八〇回ないし六〇回程度まで下がることが五回あった。右のような胎児の徐脈が見られたことから、控訴人は、午前一一時三分ころ、春子の体位変換を行ったところ、その一過性後徐脈は次第に解消して、午前一一時三〇分以降は消失した。その後は、胎児の心拍の乱れはあるものの、目立った一過性徐脈はなかった。

控訴人は、春子を陣痛室から分娩室に移した際に五分ないし一〇分間分娩監視装置のベルトを外したが、分娩室への移動後に再装着してからは、子宮破裂までベルトを外したことはない。

母体(子宮)については、午前一〇時五〇分ころ以降有効な陣痛が発来しており、胎児についても、前記のとおり一過性徐脈が消失してからは問題はなく、この間の子宮頸管の変化も順調であった。控訴人は、午後零時一〇分ころと午後零時五五分ころの二回内診を行ったが、後者の内診の時点では、子宮頸管がスムーズに開大し、陣痛が二分間隔で規則的に起こっていて、順調に分娩が進行していた。ところが、午後一時二〇分に至り、春子の子宮が破裂した。

(2) 控訴人が提出した乙三の3は、本件分娩の際に春子が装着していたトーイツMT八二〇型の分娩監視装置の監視記録そのものであり(乙一八の3、二〇の2は、乙三の3に控訴人が時刻その他のコメントを付したもの)、乙三の2(春子の四月一八日付監視記録)及び乙七の1・2(門田しのぶの四月二五日付監視記録)と一連のものであることは、記録用紙の通し番号からも明らかである。

被控訴人らは、春子の記憶に基づく本件分娩時の状況に関する供述と対比して、乙三の3の真正を争うけれども、浣腸・排便と分娩監視装置の装着の時的前後関係、陣痛発来状況と胎児の徐脈の発生状況、分娩監視記録の視認状況等に関する春子の供述は、極めて不自然であって信用することができず、その記憶なるものは、何ら客観的根拠もなく自己の都合に合わせてねつ造された記憶にすぎないから、乙三の3の真正に疑いを生じさせるものでない。また、被控訴人自身、本訴提起に先立って控訴人に送付した内容証明郵便においては乙三の3が春子の分娩監視記録であることを認めていたほか、マスコミにもその旨の説明をしていたものである。

2  子宮破裂の原因

(一) 被控訴人らの主張

子宮破裂の原因は、控訴人による子宮収縮剤オキシトシンの過剰投与による過強陣痛である。

自ら看護婦であった春子の本件分娩時の状況に関する記憶は正確で信用するに足りるものであるところ、春子の供述に基づく本件分娩時の状況は、前記1(一)(1)のとおりであって、これによれば、陣痛発来の当初から過強陣痛及び子宮破裂の切迫徴候は持続的に出現していたものであり、これがオキシトシンの過剰投与によるものであることは明らかである。

本件におけるような完全子宮破裂が発生するには、患者の既往に帝王切開術施行等による子宮筋層に切創があったり、分娩の進行障害等に伴う過強陣痛があったり、オキシトシン等の子宮収縮剤が乱用されたりといった何らかの原因があるはずである。しかるところ、本件においては、春子には帝王切開術や子宮筋腫の手術等の既往歴はなく、本件後に第四子を経膣分娩により出産していることからも明らかなとおり、春子の子宮には脆弱性は存しておらず、オキシトシンによる過強陣痛以外には、子宮破裂をもたらす原因となるような事情は見当たらない。

控訴人は、乙三の3の分娩監視記録を根拠として、本件では、春子には過強陣痛は見られず、順調に分娩が進行していたものであって、子宮破裂を予測することも防止することもできなかった旨主張するけれども、前記1(一)(2)のとおり、そもそも乙三の3は、子宮破裂を起こさなかった他人の分娩監視記録を春子のものと差し替えて提出しているのであるから、本件とは何の関係もないものである。控訴人は、昭和六〇年二月以降被控訴人側から幾度も本件のカルテと分娩監視記録の任意交付を求められながら、これに応じなかったものであり、本件事故から一年四か月以上経過した昭和六〇年九月一〇日に証拠保全がなされるまでの間に、近い将来の証拠保全や提訴を予想して、他人の分娩監視記録とすり替えておくなどの準備をしていたものと考えられる。

(二) 控訴人の主張

乙三の3の本件分娩監視記録に現れた子宮収縮(陣痛)は、その頻度も強度も通常分娩のために必要な範囲内の正常なものであって、過強陣痛には当たらない(なお、本件分娩の際に春子に装着された分娩監視装置が陣痛計測の感度をノンストレステスト時の状態のままで使用されており、感度調整が不適切であったため、乙三の3の分娩監視記録では、陣痛曲線の最も強くなった部分が水平な直線状に表示されていて、陣痛の極期について正確な記録がなされていないけれども、陣痛周期及び陣痛持続時間の読み取りは可能である。)。

乙三の3の本件分娩監視記録中に複数回一過性徐脈が出現しているけれども、これが直ちに胎児仮死との判断に結びつくものでなく、胎児に対して何らかのストレスがかかっている最初の徴候を示すものにすぎない。本件当日の午前一一時三〇分以降は一過性徐脈の所見も消失しており、胎児の状態は良好であったものである。仮に、一過性徐脈の出現が胎児仮死の徴候であったとしても、胎児仮死は、子宮収縮による胎児への圧迫とこれによる胎児への影響を問題とするものであって、胎児仮死それ自体は子宮内圧力が子宮破裂を導くほど大きなものであることを直ちには意味しないし、前記のとおり、午前一一時三〇分以降はこうした一過性徐脈の所見も消失している。

以上のとおり、本件分娩の際には、過強陣痛自体が存在せず、単に通常分娩のために必要な収縮の頻度の陣痛が出現していたにすぎず、そうした状況下で子宮破裂が発生したものであるから、オキシトシンの使用と子宮破裂との間には因果関係がない。

3  被控訴人の義務違反

(一) 被控訴人らの主張

控訴人は、本件分娩に当たって、春子に子宮収縮剤オキシトシンを点滴投与する際に、開始時投与速度を毎分三三滴としていたものであるところ、本件当時における医療水準に照らし、右投与量が過剰であることは明白である(仮に、開始時投与速度が控訴人の主張する毎分一〇滴であったとしても、子宮収縮剤投与開始後の産婦の状態の変化に即応して適宜適切な処置を執るべきはもちろんのことである。)。しかも、子宮収縮剤投与開始後、過強陣痛の発来や胎児仮死の徴候が持続的に出現していたにもかかわらず、控訴人は、オキシトシンの投与中止ないし投与量減量等の適切な措置を講じなかったため、子宮破裂に至ったものである(なお、乙三の3の分娩監視記録中で上限が振り切れるような感度設定のままこれを調整し直していないことからも明らかなとおり、控訴人は、昭和五九年当時、分娩監視装置の使用及び監視記録の判読についての知識経験に乏しかったものである。)。

控訴人において、分娩誘発中の産婦に対する経過観察を十分慎重に行い、子宮収縮剤の投与を中止又は減量していれば、過強陣痛を回避して子宮破裂を防止することが可能であったにもかかわらず、控訴人はこうした措置を採らなかったものであって、春子の子宮破裂及びこれに起因する秋子の新生児仮死の発生とその後の同児の死亡につき、控訴人の注意義務違反があることは明白である。

(二) 控訴人の主張

本件分娩における春子に対する子宮収縮剤オキシトシンの点滴投与は、オキシトシン五単位を五パーセントぶどう糖液五〇〇ミリリットルに混ぜて、毎分一〇滴(5mU)の速度で開始し、その後も増減はなかったものであるところ、右の開始時投与速度は、本件当時における日本母性保護医協会作成の研修ノートに記載された投与速度に合致するものであって、本件当時の医療水準の下では格別問題のないものであった。

オキシトシン投与開始後一五分ほどして一過性徐脈が見られるようになっており、この時点における胎児の状態からすると、オキシトシンの投与が過量であった可能性は否定できないものの、その後に控訴人が春子の体位変換を行うことにより、三〇分後には一過性徐脈も消失し、胎児は良好な状態にあったものであるから、その後も当初の投与速度でオキシトシンの投与を継続したことに問題はない。

そして、その後子宮破裂に至るまで、通常の出産に必要とされる程度の頻度と強度の陣痛が継続しており、被控訴人らの主張するような過強陣痛や子宮破裂の切迫徴候は何ら存しなかったのであるから、こうした状況下で子宮破裂の発生を予測してその防止のための措置を講じることは不可能であった。

4  損害

(一) 被控訴人らの主張

(1) 秋子の逸失利益二〇九九万九六六二円

平成二年の賃金センサス第一巻の産業計・企業規模計・女子労働者学歴計一八〜一九歳の年間平均賃金(一八二万七一〇〇円)を基準とし、生活費控除割合を三割として、新ホフマン係数(16.4192)により中間利息を控除して算出。秋子の両親である被控訴人らが、各二分の一の割合で相続した。

(2) 慰謝料

秋子分一〇〇〇万円

被控訴人太郎分四〇〇万円

被控訴人春子分六〇〇万円

なお、秋子の慰謝料請求権は、被控訴人らが各二分の一の割合で相続した。

(3) 墳墓葬祭費八〇万円

(4) 医療費・交通費八三万四九五〇円

(5) 弁護士費用七〇〇万円

(二) 控訴人の主張

争う。

第三  争点に対する当裁判所の判断(本件控訴及び附帯控訴事件関係)

一  争点1(臨床経過)について

1  前記第二の二の事実に、証拠(乙一、二、三の2・3、一七の一・二、一九、二〇の2、二四、三九、四一、原審証人谷口チヨミ、同島田博子、当審証人池ノ上克、原審及び当審での控訴人本人、後記認定事実中に括弧書きの証拠)を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 控訴人は、昭和四三年一二月に医師免許を取得して、市立宇和島病院、岡山大学医学部、高知医科大学等で勤務するなどし、昭和五七年一〇月から市立宇和島病院産婦人科の嘱託医として勤務した後、昭和五八年一一月から肩書住居地で「甲野医院」を開設し、産婦人科・皮膚科等の診療を行うようになった。

甲野医院における医師は控訴人一人であり、昭和五九年四月当時には、常勤の准看護婦四名のほか、看護学生一名、正看護婦の資格を有する非常勤の助産婦一名のスタッフが勤務していた。(乙四)

(二) 春子は、昭和二七年一一月四日生まれの女性であり、昭和五〇年一一月二六日に太郎と婚姻して、同人との間で、昭和五一年七月三〇日に長男一郎を、昭和五四年七月四日に次男二郎をそれぞれ経膣分娩により出産した。右出産時における各児の体重は、それぞれ約三八〇〇グラムと約三五六〇グラムであった。

春子は、本件出産より前に、吸引分娩の経験はあるものの、帝王切開術をうけるなどして、子宮の壁を切開されたことはない。なお、春子は、二年の准看護婦及び六年の正看護婦の職歴がある。

(三) 秋子妊娠時、春子の最終月経は、昭和五八年七月二五日であった。春子は、当初宇和島市立宇和島病院で受診していたが、昭和五九年二月二七日、控訴人との間で、右妊娠中及び出産に伴う適切な医療措置を受けることを内容とする診療契約を締結し、同日から、控訴人の診察を受けるようになった。右初診時において、春子は妊娠三一週であり、前置胎盤の疑いがあったが、実際には前置胎盤ではなかった。このほか、春子には、切迫早産、羊水過多症、カンディタ症、貧血等が見られたが、控訴人による対症的療法の実施によって、右の症状はいずれも消退した。なお、春子が控訴人の診察を受けた当初、秋子は、いわゆる逆子であったが、逆子体操を行った結果、頭位となり、その後再び逆子となったが、逆子体操により再び頭位となった。春子は、昭和五九年四月三日、下腹部を打撲したが、特に異状を生じなかった。以上のほかは、春子の妊娠は、格別の問題もなく推移した。

控訴人は、昭和五九年四月一八日、分娩監視装置(一台しかなかった。)を用いて、春子に対するノンストレステストを行ったが、胎児には異状はなく、子宮に軽い収縮が見られた。同月二五日に春子が来院した際の内診所見では、子宮口一指開大で十分伸展していた。

(四) 春子は、夫である被控訴人太郎の勤務が休みとなり、その協力が得られやすいゴールデンウィークの連休期間中に出産とこれに伴う入院を終えてしまいたいとの気持ちから、四月二七日、控訴人の診療所に来院して、誘発分娩を希望した。これに対して、控訴人は、内診により春子の子宮頸管が十分成熟していることを確認した上、春子に対し、翌二八日に誘発分娩を実施する旨答え、翌朝午前一〇時に来て入院するように指示した。控訴人の診療所における誘発分娩の実施は、春子が初めてのケースであったが、控訴人は、右診療所開設前に勤務した市立宇和島病院で誘発分娩実施の経験を有していた。

(五) 翌四月二八日午前一〇時ころに来院した春子は、まず採尿を受けた後、島田博子看護婦によるオリエンテーションを受けてから病室(二〇三号室)に案内され、午前一〇時二〇分ころ、同看護婦によりグリセリン浣腸を受けて、同病室内のトイレで排便した。その後、春子は、陣痛室に案内され、午前一〇時四〇分ころから、春子に対し、子宮収縮剤オキシトシンの点滴投与による分娩誘発が開始されるとともに、谷口チヨミ看護婦により春子の下腹部に分娩監視装置(トーイツMT八二〇型、乙四二)のベルトが装着されて監視が始められた。オキシトシンの点滴投与は、オキシトシン五単位を五パーセントぶどう糖液五〇〇ミリリットルに混ぜて、控訴人の指示により、毎分一〇滴の開始時投与速度で始められ、その後も増減はなかった。なお、右分娩監視装置による監視記録が乙三の3である。

(六) オキシトシンの点滴投与及び分娩監視装置による監視を開始した時点では、控訴人は、外来患者の診察のため、陣痛室には立ち会っていなかったが、谷口、島田両看護婦が右点滴及び監視の開始時以降陣痛室で春子に付き添っていたほか、井上千鶴看護婦も、最初の時点で立ち会っており、その後も時々立ち会っていた。なお、非常勤の助産婦中尾ハツエは、本件当日、子宮破裂までには控訴人の診療所に来ていなかった。

(七) オキシトシンの投与開始後一〇分ほどして、春子に目立った陣痛が出現した。もっとも、分娩監視装置の陣痛計測の感度の設定が、四月二五日に別の患者(門田しのぶ)に対するノンストレステストを実施した時のままの状態となっていたため、監視記録(乙三の3)では、陣痛の最も強くなる部分(極期)が記録できず、記録された陣痛曲線の上が切れて水平は直線状となっている。分娩監視装置使用開始後数分間の陣痛曲線は、そのほとんどが記録紙の目盛りの〇ないし一〇までの位置に収まっていたが、目立った陣痛が出現してからは、陣痛が弱まった間歇期においても、記録紙の目盛りの一五ないし二五の位置よりも下に下がらなくなり、しかもすぐに陣痛曲線が上方に向かう状態となっている。

最初に目立った陣痛が見られてから五分ほどすると、胎児に一過性徐脈が出現し、ほぼ二分間隔で発来する陣痛のたびごとに見られるようになり、それから三〇分ほどの間に、胎児の心拍数が毎分一四〇回程度から毎分八〇回程度にまで下がることが五回あり、そのうちの一回は毎分六〇回にまで下がった。この一過性徐脈は、子宮収縮に伴う子宮胎盤機能不全(血流量減少)による遅発一過性徐脈(後記二4参照)である。

(八) 右のような一過性徐脈の出現が見られたことから、連絡を受けた控訴人は、陣痛室に赴いて春子を診察し、午前一一時三分ころ、春子に体位変換を施して仰臥位から左側臥位とした。なお、その際、控訴人は、春子に対し、臍帯の圧迫を解消するためのものである旨を説明した。体位変換後、大きな一過性徐脈は徐々に解消し、午前一一時三〇分以降は消失した。そして、右時点以降は、分娩監視記録上、瞬間的に低い心拍数が記録された箇所がかなり見られるものの、それを除けば、胎児の心拍数はおおむね毎分一四〇回ないしそれよりやや多い程度で推移しており、目立った一過性徐脈は観察されず、胎児仮死や子宮破裂を示すものはなかった。

(九) 控訴人は、春子の分娩が近づいたと判断して、午前一一時四五分ころ、春子を陣痛室から分娩室に移動させたが、その際に分娩監視装置による監視を中断した。その間に春子がトイレでの排尿を済ませ、分娩室に移った後の午前一一時五五分ころから再び分娩監視装置のベルトを装着して監視が再開された。右再装着後においても、ところどころで胎児心拍数が極端に上下する箇所があるものの、目立った一過性徐脈も基線細変動の消失も見られなかった。なお、分娩監視記録は、全部で約二時間半分が残されているが、その最後の部分でも陣痛曲線が記録されている。(乙三の3の記録には、子宮破裂時の記録がないが、分娩監視記録による監視が止められたのがいつの時点であったのかについては、本件全証拠によるも、これを厳密に確定することができない。)

(一〇) 分娩室に移動した後、控訴人は、午後零時一〇分ころと午後零時五五分ころの二回にわたり、春子に対する内診を行った。午後零時五五分に行った内診所見では、三横指開大の状態であり、約二分間隔での規則的な陣痛が発来していた。また、午後零時五〇分ころから、控訴人の指示により、春子に対して酸素吸入がなされたが、これは、控訴人の診療所においては、分娩間近の産婦に対して通常採られる措置であった。

(一一) 午後一時二〇分ころに至って、春子の下腹部が異常な動きを見せて、子宮破裂が発生し、胎児が春子の腹腔内に出てしまった。看護婦三人とともに分娩室で立ち会っていた控訴人は、直ちに手術の準備を行うとともに、市立宇和島病院に応援を依頼した。午後一時三〇分ころから手術を開始し、午後一時四〇分ころには胎児(秋子)を娩出したが、秋子の状態は悪く、控訴人の指示で到着した中尾助産婦や市立宇和島病院から応援に駆けつけた医師が蘇生術を施すなどした。控訴人は、春子に対する子宮縫合術を施した。

(一二) 秋子は、午後二時三五分ころに控訴人の診療所を出発した救急車で市立宇和島病院へ搬送され、午後二時三八分ころ、同病院に到着し、直ちに治療を受けた。右治療開始時における秋子は、新生児仮死(Ⅱ度)、左気胸、低体温の状態であった。同病院での治療の結果、左気胸及び低体温は治癒し、呼吸及び循環も回復したものの、子宮破裂により腹腔内に押し出された結果酸素供給が断たれたため、無酸素脳症となって重度の脳障害を生じた。そのため、秋子は、重度の精神運動発達遅滞及び脳性麻痺(疼直性四肢麻痺)、てんかん、脳萎縮に罹患したほか、咳反射不十分のため、肺炎を繰り返していた。(甲一、一二、一九)

(一三) 秋子は、その後、国立療養所愛媛病院に入院したが、前記脳性麻痺の状態が続き、慢性反復性気管支炎の状態にあり、昭和六一年一月五日、急性肺炎により死亡するに至った。なお、秋子の相続人は、父被控訴人太郎及び母被控訴人春子である。(甲一〇、四七)

(一四) 春子は、本件事故後も控訴人の診療所に入院を続け、昭和五九年五月一一日に退院した。その後、春子は、第四子を妊娠し、昭和六三年五月一一日無事に分娩した。(甲四七、乙一、二)

2  被控訴人らは、控訴人が本件において春子に装着されていた分娩監視装置の監視記録として提出した乙三の3について、控訴人が故意に子宮破裂を起こしていない他人の分娩監視記録を春子本人のものとすり替えて本件訴訟に証拠として提出したものであり、本件における子宮破裂に至るまでの臨床経過は、前記第二の三1(一)(1)記載のとおりであると主張し、被控訴人春子は、原審及び当審の本人尋問において、右主張に沿う詳細な供述をし、同被控訴人作成に係る同趣旨の報告書(甲一三、三八)も提出する。被控訴人春子の本件臨床経過に関する供述内容は、春子の来院時刻、子宮収縮剤オキシトシンの点滴投与開始及び分娩監視装置の装着による監視開始の時刻、右の点滴及び監視開始時刻と春子に対する浣腸及びこれに続く排便との時間的前後関係、オキシトシンの点滴投与の開始時投与速度、分娩監視装置の着脱の回数及び時期、分娩誘発開始後に出現した陣痛の頻度及び強度(過強陣痛の発来)、胎児の心拍数の低下と徐脈の発現回数及びその頻度ないし持続時間、子宮破裂に至るまでの春子の状態等数多くの点で、前記認定と大きく異なるものとなっている。なお、春子は、自らの看護婦としての専門的な知識経験に基づいて、本件分娩のために控訴人の診療所で入院してから子宮破裂に至るまでの経過及びその間の自己の容体につき、自己の腕時計で時刻を確認したり、分娩監視装置の画面及び記録紙の内容を自分の目で確認しており、右供述は、その正確な記憶に基づくものであると供述する。

しかしながら、以下において説示するとおり、乙三の3が本件当日の春子の分娩監視記録ではないとする被控訴人の主張を裏付ける的確な証拠はなく、かえって、本件のカルテや看護記録の記載、春子の分娩に関与した看護婦らの各証言、原審及び当審での控訴人本人の供述によれば、乙三の3が本件当日の春子の分娩監視記録であると認められる。

(一) 被控訴人春子は、本件事故の当日午前一〇時一〇分ころからオキシトシンの点滴投与及び分娩監視装置による監視が始められ、その後に浣腸と排便が行われた旨供述しているけれども、春子に対する入院準備に当たった看護婦である原審証人島田博子は、陣痛室で子宮収縮剤の投与による分娩誘発に先立って二〇三号病室において、午前一〇時二〇分ころにグリセリン浣腸を行い、春子が同病室内のトイレで排便した後に、春子を陣痛室に移した旨明確に証言しており、看護記録(乙一)の記載もこれを裏付けるものとなっている。しかして、産婦の入院に際して、当日排便未了の産婦に分娩の準備として浣腸を実施して排便させておくことは、産婦に既に有効陣痛が発来している場合等を除けば、産婦人科医院において通常採られる措置であって、入院に伴う一連の手続としてルーティン化されたものであると考えられることに照らせば、右の手順を前後して、分娩監視装置を装着して子宮収縮剤の点滴投与による分娩誘発を開始した後、浣腸と排便を行った旨の被控訴人春子の右供述は不自然であって信用できず、前記証人島田博子の右証言は信用できる。してみれば、分娩監視装置装着後にこれを浣腸・排便時と陣痛室から分娩室への移動時との二回外した旨の被控訴人春子の供述にも、疑問があるといわなければならない。

被控訴人春子は、本件当時装着されていた分娩監視装置(本体)の画面に刻々と表示される胎児心拍数のデータや分娩監視装置(本体)から連続的に出てくる記録紙に記録されている陣痛曲線等を読み取ることができていたが、その記憶に残っている陣痛曲線や胎児心拍数は、本件で控訴人から提出された分娩監視記録(乙三の3)に記録されたものとは全く異なる旨供述する。確かに、自らの看護婦としての専門的な知識経験を有する春子は、そうした知識経験を持たないいわゆる素人の患者と比較して、自己の容体や医師の施す各種医療措置の内容等を認識・理解した上で記憶にとどめることが容易であることは否定できないところであるけれども、証拠(原審証人谷口チヨミ、同島田博子、乙六、三一、三二、三四、三七、三八、三九、原審及び当審での控訴人本人)によれば、本件においては、分娩監視装置が、ベッドに横たわる産婦の頭部の真横(左側)に、装置の正面を産婦の頭部から足部に向かう方向に設置していたことが認められるところ、右のような分娩監視装置(本体)と春子との位置関係に照らせば、ベッド上で仰向けないし左側臥位であった春子において、分娩監視装置の正面画面や刻々と打ち出される記録紙に表示ないし記載された胎児心拍数や陣痛曲線等を正確に読み取ることが可能であったものかどうか疑問を挟む余地が十分あるし、被控訴人春子の供述するところによれば、激しい陣痛の発来にさいなまれていたというのであるから、そうした状況下で、無理な姿勢で分娩監視装置の画面に表示され、あるいは記録紙に打ち出されてくるデータを視認できていたというのも、不自然の感を免れない。

また、被控訴人春子の供述するところによれば、次第に陣痛の頻度と強度が増加して最後には息も絶え絶えの状態になるほどであり、しかも、陣痛の発来のたびに一過性徐脈の出現が見られたというのであるが、陣痛の発来状況及びその間の春子の状態に関しては、本件において、陣痛室及び分娩室で立ち会っていた看護婦らの証言と被控訴人春子の右供述とはまさしく相反する内容のものとなっている上、被控訴人春子が供述するような頻度と持続時間で一過性徐脈の出現があったとすれば、胎児へも少なからぬ影響が生じることは避け難いと考えられるにもかかわらず、後記三2のとおり、本件当日午前一一時三〇分ころに一過性徐脈が消失してからは子宮破裂に至るまで胎児の状態には格別問題がなかったと認められることからすれば、被控訴人春子の陣痛発来状況及び徐脈の出現状況に関する右供述内容と実際の胎児の状態との間には、看過することのできないそごないし矛盾が存することになる。

(二) 乙三の2(春子の四月一八日付分娩監視記録)及び乙七の1・2(門田しのぶの四月二五日付分娩監視記録)と乙三の3(本件分娩監視記録)を対比してみると、右各監視記録の記録用紙に付された通し番号が一連のものであるところから、右の三つの監視記録が控訴人の診療所で本件当時使用されていた分娩監視装置(トーイツMT八二〇型)を使って一続きの形で記録されたものと認められ、このことに証拠(甲三九、乙九、四二、原審証人谷口チヨミ、原審及び当審での控訴人本人)を併せれば、乙三の3の分娩監視記録は、本件事故の当日に春子に装着されていた分娩監視装置の監視記録であると認められる。これに対して、被控訴人らは、甲二五(門田しのぶの上申書)に依拠して、門田が四月二五日に控訴人の診療所で分娩監視装置を用いてノンストレステストを受けた際に、同女の前にもう一人分娩監視装置を使ってテストを受けていた患者がいたとして、乙三の2、乙七の1・2、乙三の3の各分娩監視記録が控訴人の主張するような一連のものであることはあり得ず、乙三の3が本件当日に春子に装着されていた分娩監視装置の監視記録ではない旨主張しているけれども、前記認定の記録紙の通し番号の存在や前掲各証拠とも対比して、甲二五の供述記載をそのまま採用することはできない。

また、被控訴人らは、乙三の3の分娩監視記録には、一度しか装置を外して監視を中断した形跡がなく、春子の体位変換に伴う陣痛曲線上の変化等がないとして、乙三の3が春子の分娩監視記録ではない旨主張するけれども、前者については、分娩監視装置による監視の中断が二回であった旨の被控訴人春子の供述自体の信用性に疑問があることは前記(一)のとおりであるし、後者についても、乙三の3の分娩監視記録に記録された陣痛曲線には、控訴人の主張する春子の体位変換時に符合する形で、体位変換のあったことをうかがわせる微変動が記録されていること(乙一九、二四、当審証人池ノ上克)に照らし、たやすく採用することはできないといわなければならない。

(三) なお、被控訴人らによる本訴提起前に被控訴人ら代理人から控訴人宛に送付された請求書(乙三三)は、控訴人の診療所で証拠保全された分娩監視記録(乙三の3)が春子の本件分娩時の記録であることを前提として、控訴人の過失を指摘した上で損害賠償を求める内容となっているほか、マスコミによって陣痛促進剤投与にまつわる問題等についての報道番組が放映された際には、被控訴人らから乙三の3が春子の本件分娩時の記録であるとして資料提供がなされた(原審及び当審での被控訴人春子本人、弁論の全趣旨)。

二  争点2(子宮破裂の原因)の検討の前提となる事項について

1  オキシトシンの使用とその副作用

(一) オキシトシンの効能と副作用

オキシトシンは、分娩誘発に従来から広く使用されてきた薬剤であり、プロスタグランディンと並ぶ代表的な子宮収縮剤である。この両者は、生理的に妊婦血中に存在する子宮収縮物質であり、収縮自体も自然陣痛に極めて近いという特徴がある(甲六)。

オキシトシンの副作用としては、過強陣痛、強直性子宮収縮、これによる胎児仮死(さらには胎児死亡)、子宮破裂、頸管裂傷等がある(甲四、六、七、九、三六)。

(二) オキシトシン使用上の注意

子宮筋のオキシトシン感受性には妊婦によって大きな個人差があるため、感受性の高い妊婦には微量でも子宮収縮が起こり、過量のときは過強陣痛が発生して母児に悪影響を与えることがあることから、様々な文献において、オキシトシンの投与による分娩誘発に際しては、投与量が過量にならないよう注意を喚起している。

昭和四九年八月に社団法人日本母性保護医協会が発行した研修ノートNo.4分娩誘発法(甲六)には、「医師又は助産婦が常に母児の状態を監視する必要がある。特に、オキシトシン注入開始から三〇分間は、医師による持続監視が必要であり、分娩監視装置を常用することが望ましい。過剰投与による過強陣痛を避けるため、少量から投与を開始するのがよい。一般には、五パーセントぶどう糖液にオキシトシン五単位を溶かし、毎分一〇〜二〇滴(五mU〜一〇mU)から開始する方法が普及している。」と記載されている。また、甲八(昭和五六年四月第一刷発行)では、投与法としては微量静脈内投与法(慎重な点滴静注か、持続微量注入ポンプの使用)により、開始時の投与速度は毎分二mUがよい旨、甲九(昭和六〇年一〇月第一刷発行)では、開始時の投与速度は毎分1.5〜3mUとする旨ないし毎分一〜二mUとするのがよい旨の記載がある。

このほか、各種文献において、オキシトシン投与開始後における母児の状態についての持続的監視及びその結果に応じた投与量の調節の必要性が説かれている(甲六、八、九)。

なお、平成二年一月に社団法人日本母性保護医協会が発行した「産婦人科医療事故防止のために」と題する小冊子(甲三〇)では、「五パーセントぶどう糖液にオキシトシン五単位を溶かし、毎分五〜一〇滴(2.5mU〜5mU)から開始し、一五〜三〇分毎に毎分三滴ずつ増加する。」、「オキシトシンの点滴投与開始初期には、しばしば子宮筋のトーヌスの増強や過強陣痛が出現する初期反応を認めるから、安定した子宮収縮の状態になるまで、少なくとも医師の持続監視が必要である。」との記載があるが、右小冊子の平成五年六月の改訂版(甲四一)では、投与速度につき、後記甲三六と同内容のものに改訂されている。平成四年三月に社団法人日本母性保護医協会が発行した研修ノートNo.43分娩誘発法(甲三六)には、「医師又は助産婦が常に母児の状態を監視する必要がある。特に、子宮収縮剤投与開始初期に、子宮筋のトーヌスの増強や過強陣痛が出現することがある。したがって、注入開始から、安定した子宮収縮の発来をみるまで(少なくとも三〇分くらい)子宮収縮の状態をよく観察する。分娩監視装置を使用する。過剰投与による過強陣痛を避けるため、少量から投与を開始することが望ましい。オキシトシン投与速度は、開始時は毎分一〜三mUとし、有効陣痛が得られるまで、一度に毎分一〜二mUの範囲で、四〇分以上経過を見た上で増量する。」と記載されている。

(三) 本件子宮収縮剤の添付文書(能書)

本件で用いられた子宮収縮剤シントシノン(登録商標)の添付文書(能書、甲四、昭和五七年一月改訂のもの)には、「用法・用量」の項に「オキシトシンとして通常五ないし一〇単位を五パーセントぶどう糖液五〇〇ミリリットルに混和し、点滴速度を毎分一ないし二ミリ単位から開始し、陣痛発来状況及び胎児心拍等を観察しながら適宜増減する」と、「使用上の注意」の項に「子宮収縮の状態及び胎児心拍の観察等分娩監視を十分に行う」と、「副作用」の項に「過強陣痛、子宮破裂等の症状が現れることがある」と、「適用上の注意」の項に「オキシトシンに対する子宮筋の感受性が高い場合、過強陣痛、胎児ジストレスの症状が現れることがあるので、このような場合には投与を中止するか、又は減量すること」と記載されている。

2  子宮破裂とその原因等

子宮破裂は、妊娠子宮体部の裂傷であり、まれに妊娠中に発生することがあるが、ほとんどは分娩時に突発的に発生する。

子宮破裂を原因別に大まかに区分すると、①帝王切開術や子宮筋腫核出術等の施行後に子宮体壁に瘢痕が残存する場合(子宮瘢痕破裂)、②人為操作が加わらないのに、分娩中の胎児の産道通過の障害(例えば、狭骨盤、巨大児、額位・顔位・横位等の異常体位など)が原因となる子宮下部の過度伸展により自然に発生する場合(自然破裂)、③子宮収縮剤の誤用、粗暴な産科手術、外傷等により発生する場合(外傷性破裂)の三つがある。

子宮破裂の発生には、前駆症状を欠くこともあるが、多くの場合には、①陣痛が増強し、過強陣痛、痙攣陣痛となる、②産婦が不安状態となり、脈拍頻数、呼吸促迫がみられる、③収縮輪が明瞭となり、生理的高さを越えて上昇し、横又は斜めに走る、④子宮は固く、圧痛があり、子宮底が上昇するなどの前駆症状が認められる。(甲七、四一〜四六)

3  過強陣痛

日本産婦人科学会の産婦人科用語問題委員会の報告によれば、陣痛の強さは子宮内圧によって表現するものとし、子宮内圧の代わりに、臨床的には、陣痛周期と陣痛発作持続時間とをもって表現することも認められるとした上で、子宮口開大が七〜八センチメートル以上の場合においては、陣痛周期が一分以内、陣痛持続時間が、外測法によるピーク五分の一点(間歇期と極期との間をとって五分し、その弱い方から一つの位置)を基準として、九〇秒以上の場合を過強陣痛としている(甲八)。

4  一過性徐脈とその発生機序

出産時には子宮が強い収縮を反復することから、①子宮収縮の極期に、子宮血管を経て胎盤に流入する産婦の血液量が不足し、胎盤での酸素交換が一時的に阻害されることにより、あるいは、②臍帯が一時的に圧迫されて臍帯血流が一時的に阻害されることにより、あるいは、③胎児の頭部が産道によって圧迫されることにより、胎児が一時的に低酸素状態に陥り、その結果、胎児の心拍数が一時的に低下する現象(一過性徐脈)が発生する(甲三〇、乙一六、二三、当審証人池ノ上克、原審鑑定)。

一過性徐脈には、大きく分けて、子宮収縮と同調して現れ、子宮収縮が陣痛曲線の基線に戻るまでに回復する早発一過性徐脈、子宮収縮よりも遅れて始まり、その回復も子宮収縮が陣痛曲線の基線に戻った後に回復する遅発一過性徐脈、しばしば子宮収縮と同時に起きるが、これと同調するものではなく、その強度と持続時間とが様々な変動一過性徐脈の三つがあり、早発一過性徐脈は、前記③の産道による胎児の頭部の圧迫によって、遅発一過性徐脈は、前記①の子宮胎盤機能不全によって、変動一過性徐脈は、前記②の臍帯圧迫によって生じるものと考えられている。このうち、早発一過性徐脈は、基本的には病的意義を有するものではないが、遅発一過性徐脈は、胎児の低酸素状態ないし胎児仮死(低酸素症)を示すものである。また、変動一過性徐脈は、通常一過性で容易に回復するが、その程度が高度で容易に回復しない場合には胎児の低酸素状態ないし胎児仮死(低酸素症)を示すものと考えられている。(乙二三、当審証人池ノ上克、原審鑑定)

三  争点2(子宮破裂の原因)について

1  以上の一・二認定の事実関係に、原審鑑定(国立病院医療センター国際医療協力部部長我妻堯の鑑定)を総合すると、本件子宮破裂については、子宮瘢痕破裂や自然破裂、粗暴な産科手術や外傷等により発生した外傷性破裂であると認むべき特段の事情がないから、控訴人の投与したオキシトシンによって増強された子宮収縮(陣痛)によって生じた高度の蓋然性があると認めるのが相当である。乙一七の1・2(南カルフォルニア大学医学部産婦人科教授リチャード・H・ポール作成の意見書)は、本件における子宮破裂の原因について、多分子宮収縮の結果であったろうとしつつも、本件での春子の子宮収縮の頻度ないしパターンは自然分娩でも生じえたものであり、同じ子宮破裂がオキシトシンを使用しない自然的子宮活動の結果によって生じることも十分あり得たのではないかと指摘しているが、その可能性は極めて低いと考えられるから、右認定判断の妨げとならず、他に右認定判断を妨げるに足りる証拠はない。

2  したがって、控訴人の子宮収縮剤オキシトシンの投与と本件子宮破裂との間に因果関係を肯定するのが相当である。

四  争点3(控訴人の義務違反)について

1 子宮筋のオキシトシンに対する感受性には差があり、感受性の高い妊婦には微量でも子宮収縮が起こり、過量のときは過強陣痛が発生して母児に悪影響を与えることがあるので、オキシトシンの静注は少量から開始し、陣痛発来状況及び胎児心拍等を観察しながら適宜増減する必要があることは、前記二1(二)のとおりである。また、原審鑑定(鑑定書一五頁)によれば、子宮収縮剤に対する感受性は、分娩経過が遷延して子宮筋が疲労すれば低下するが、それまでは子宮口の開大、胎児先進部の下降など分娩の進行とともに増大するものであることが認められる。

2 ところで、原審鑑定、当審証人池ノ上克(宮崎医科大学産婦人科教授)及び乙19.24(同教授作成の意見書)、前掲の乙一七の1・2によれば、原審鑑定人我妻堯、池ノ上教授及びポール教授の三者とも、乙三の3の分娩監視記録上、午前一〇時五五分こうから午前一一時三〇分ころまで遅発一過性徐脈が頻繁に出現していた間、胎児が正常の範囲を超える低酸素状態に陥っていたと判断し、この胎児の状態から見る限り、子宮収縮が頻回に起こりすぎており、オキシトシンの投与が過量であったと判断され、この遅発一過性徐脈出現の時点で、胎児へのストレスを軽減するために、オキシトシンの投与を中止するか、少なくとも減量して、胎児及び子宮収縮の状態を慎重に観察すべきであったものと判断している。

3 右の1・2を総合考慮すると、前記一1(七)・(八)のとおり、胎児に遅発一過性徐脈が頻繁に出現した時点で、控訴人がオキシトシンの投与を中止するか、少なくとも減量していれば、本件子宮破裂は発生しなかったものと認めるのが相当である。してみれば、その措置を採らなかった控訴人は、本件子宮破裂につき善管注意義務違反があったといわなければならない。

五  争点4(損害)について

この点についての当裁判所の判断は、原判決の「事実及び理由」欄の第三の四の記載と同じであるから、これを引用する。

第四  結論

したがって、原判決は相当であって、本件控訴及び本件附帯控訴は、いずれも理由がない。

なお、控訴人の当審反訴請求については、被控訴人らの同意がないから、これを不適法として却下することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官渡邊貢 裁判官豊永多門 裁判官豊澤佳弘)

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